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旧海軍兵学校 (広島県江田島) 2014.4.18
旧海軍兵学校(現
海上自衛隊第1術科学校)へは、広島県呉港から、江田島(小用港)行のフェリーで20分、小用港からバスに乗り5分で着く。
見学は平日3回、土日祝日4回、時間約90分、個人なら予約なしで見学できる。
旧海軍兵学校は、1888年(明治21年)東京の築地からここに移転してきた。静かな環境で学べる場所として、江田島はうってつけで、もちろん現在も歓楽街は無かった。
当初は、汽船「東京丸」を教室にしていたそうだ。1893年に建てられた、最初の校舎、全長144メートルに及ぶ通称「赤レンガ校舎」、1917年(大正6年)に建てられたイオニア式の柱のある「御影石の大講堂」、1936年(昭和11年)に完成した、「白亜の教育参考館」など、豪壮な歴史建造物が建ち並ぶ。その他にも1888年(明治21年)建立の「赤レンガ文庫館」、1904年(明治37年)建立の「赤レンガ理化学講堂」もあるが、見学できない。
また、正門の外には、1913年(大正2年)以前に建てられた、旧海軍兵学校 下士卒集会所「海友舎」(江田島のホワイトハウス?)がある。
現在は、海上自衛隊第1術科学校として、幹部候補生、海曹士自衛官に対して、航海、掃海、砲術、水雷等を主として教えている。
江田島には、旧海軍兵学校施設というよりも、明治以降の「近代化遺産」、歴史的遺産として建物が現存する。残すべき建物、そんな気がした。
映画では、奥崎氏が「地獄を語ることが戦友の慰霊になる」と、元兵士たちにニューギニアでの、疲労と空腹の中で餓死した多くの兵士たちがどのようにして死んだのか、上官達のしたことの責任を強いる。映画は権力者に向けた罵倒が激しく語られる。地獄の光景が思い浮かぶ…。