※3機のB29は別々の部隊に所属し、グアムとサイパンから離陸し攻撃目標は「東京」だったが300qも離れた地に相次いで墜落した。今も原因は謎のままであり、墜落現場には金属片や焼夷弾と思われる鉄筒が転がっている。
※遺体は終戦後の1946年5月に進駐軍の将校が通訳を伴い現場を捜索し34人の遺骨を一人一個の木箱に収め横浜の米軍基地に運び、機体の残骸は1948年と1950年の二回に分けて東京の高野組がB29機体運搬の仕事を請け負い、地元村民何千人を雇い運び出した。(「山に生きる人びと」菅野新一 1961年発行 未来社刊より抜粋)
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関連サイト:「宮城県蔵王不忘山B29三機連続墜落事故の謎
」
https://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/fubousan-b29/
不忘山平和記念公園 「不忘の碑」
=B29墜落慰霊碑(宮城県七が宿町)
2016.5.13
太平洋戦争末期の1945年3月9日深夜から10日未明の間、蔵王連峰南端の不忘山(1705m)に米軍のB29爆撃機3機が相次いで墜落し、搭乗していた34人が全員死亡した。地元の有志は1961年9月に山頂の巨岩に青銅の板をはめ込み「不忘の碑」を建立。
そして墜落から70年の節目を迎るにあたり「戦争の痕跡を風化させない」と、謎に包まれた悲劇を語り継いできた地元の高橋良夫さんを中心とした人たちにより建設され、2015年8月2日に開園された。
不忘山の望む公園には大きな「世界平和」と書かれた碑、米兵34人一人ひとりの名前・年齢・階級・役割を刻んだ銘板と34本のハナミズキが植わり、碑の一つに、キャロライン・ケネディー駐日大使のメッセージ「平和の友情をもたらすために、一人ひとりが何をできるか、自分に問いかけることを望みます。」がある。