陸軍豊予(ほうよ)要塞跡
(佐田岬の軍事施設跡)
陸軍豊予(ほうよ)要塞跡 (佐田岬の軍事施設跡)
豊予要塞は、豊予海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の二等要塞で、四国側の佐田岬地区、九州側の鶴見半島地区及び佐賀関(関崎・高島地区)の3つの地区に分かれていた。
豊後水道を通る敵艦を撃沈する役目を負っていました。佐田岬には、第1〜第4砲台が設置されており、大正15年(1926年)に第1砲台、昭和2年(1927年)に第2砲台、昭和5年(1930年)に第3 第4砲台が竣工した。
各砲台を護る豊予要塞重砲兵連隊は、1941年に佐賀関で編成された。豊予要塞の司令部は、関崎砲台から3.5q離れた場所(現在の佐賀関中学校)に官舎がつくられ、砲台は1920年に豊後水道から侵入する敵艦を撃退する為に建設された。2基の砲台には45式15cmカノン砲が設置されていたが、実戦に使用される事無く終戦を迎えている。
そこの部隊は重砲兵第18連隊だが、元々の部隊名は豊予要塞重砲連隊。1926年11月、岬に露天の「豊予要塞佐田岬第一砲台」が整備されたことに始まる。1927年には東方の横峰山と正野谷西側に第二砲台施設が設置された。
駐車場に車を置いて1・8キロのアップダウンしている木立の中を歩いて行く佐田岬灯台の足元で九州側に向かって立つと、右後ろ側の下に見えるのが御籠島。
防波堤で岬と陸続きになった「真の四国最西端」御籠島(みかごじま)にあるのが陸軍豊予(ほうよ)要塞跡。2017年に第1砲台は整備されレプリカの砲も設置されている。
佐田岬の遊歩道を燈台に向けて歩いていると、左手にコンクリート階段や小径が現れるが、それらを上がると半地下式の砲台観測所や第一砲台の砲座、地下弾薬壕に通じる砲弾揚げ降ろし穴がある。
岬のキャンプ場の売店(画像の外壁の店名部分は加工処理をしている)は横穴壕の発電室跡を利用したもので、椿山展望台下方には探照灯(サーチライト)格納壕、灯台西方下と御籠島南部には、それぞれ2門ずつの横穴式砲台豪が残る。但し、灯台西方の砲台は断崖にあるため、行く事はできない。
探照灯(サーチライト)格納壕
1918(大正7)年4月1日に初点灯され、現在の灯台の色 は白色ですが、戦時中は黒いコールタールを塗って偽装していた。
椿山展望台
瀬戸内海国立公園内にある椿山展望台は、灯台と豊予海峡が一望できる絶景スポット。
大分県の佐賀関や豊後水道が一望できる展望台で近くにある佐田岬灯台よりも高い位置にあるため遠くの九州まで見える。
御籠島展望所
四国の最西端に延びる佐田岬の最突端、その灯台下にある御籠島。
佐田岬の隣に突き出た島で洞窟式砲台跡や展望所がある島で、美しい佐田岬灯台の全景を見ることができる。
忠魂碑:洞窟式砲台の建設中に洞窟内でダイナマイトの 爆発事故が起こり、4人が死亡し、 犠牲になった方を想って建てられた。
豊予要塞 |さだみさきナビ (sadamisaki.com)
戦跡top
Army Houyo Fortress Remains
(Military Facility Remains at Sadamisaki)