旧海軍鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔
鹿屋基地から1.4q程離れた、今坂町の小塚公園の小高い場所に1945年2月〜8月にかけて鹿屋基地を飛び立ち、沖縄の海上に点在するアメリカ軍艦に自爆攻撃を懸けた908人の慰霊塔が建立されている。
この慰霊塔は、昭和33年3月20日に完成し、高さ11m、塔の上には南海の空に向かって飛び立とうとしている翼を広げた平和のシンボル、白鳩が乗っている。
慰霊塔の右横に銘板があり、1945年4月11日 第五建武隊13名の中に石野節雄二飛曹の名前を見つけた。
彼はハワイのオアフ島、パールハーバーに係留している戦艦ミズーリ号の艦上にある「特別攻撃隊のサイト」の石野節雄さんである。
多くの特攻隊員は、飛び立った後、沖縄にたどり着けたのか?完璧な整備のない機体、無線機や機銃を外された機体、エンジン不調で不時着した者、たどり着いても本懐を遂げられなかった者、また、どの軍艦に体当たりしたのか?飛び立った後の事は、記録に有るはずが無い…。全員死んでしまったのだから…。
鹿屋航空基地 2012.11.29
現在、旧海軍鹿屋航空基地は、海上自衛隊鹿屋航空基地になっており、平成5年に「平和資料館」が建設され、旧海軍の発足から太平洋戦争終戦までの記録が残されている。
また、特攻に使用されたものと同機種の零式戦闘機52型も完全復元され、今にも飛び立ちそうな姿であった。また、屋外には二式飛行艇も。
戦艦ミズーリ号にある石野さんのサイト。右は銘鈑
※詳しくは「浮流星16号」に掲載
海上自衛隊鹿屋航空基地 資料館
鹿屋航空基地史料館/鹿屋市 (kanoya.lg.jp)