A swordfish fishing boat TAIYO-MARU 1989~2002

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カジキ漁船「大洋丸」

 八丈島漁師、石田保人船長の大洋丸は、八丈島では唯一の延縄漁船,それも大物「カジキマグロ」を獲る「カジキ漁船」だ。大きなものは体長2メートル・重さ200kgを超える。その操業は壮絶・勇敢そのものである。
 私は、1989年に,初めて八丈島を訪れ,保人船長に出会い,大洋丸に乗船させてもらった。そして、2002年までの間、その生き様をフィルムに記録した。
 これは、石田保人船長とその家族、そして大澤洋司機関長の記録である。

 残念なことに,20031212日,大洋丸は操業中に,低気圧に遭遇し,青ヶ島沖1.8kmのところで,遭難信号を出したが,海上保安庁の巡視船が現場に着いたときには,大洋丸の姿は無かった。大洋丸は何の痕跡も残さず、石田保人船長、大澤洋司機関長、高木則夫甲板員の3人を乗せたまま,行方不明になっている。
 今現在も漁具等、何の浮遊物も発見されてないまま,太平洋の彼方に消えてしまったままである。

Swordfish fishing boat TAIYO-MARU

Taiyo-maru which Hachijo-jima Island fisherman [Captain Yasuto Isida] holds is "the a swordfish fishing boat" that only longline fishing boat, it catch a big game "a swordfish" in Hachijo-jima Island. Big things exceed length 2 meters / 200kg in weight.
The operation of Taiyo-maru is the fierce itself which it is courageous.
I visited Hachijo-jima Island for the first time in 1989 and met Captain Yasuto and would get on Taiyo-maru and recorded an interval until 2002, the vigor on a film.
This is Captain Yasuto Ishida and the family and a record of a Yoji Osawa chief engineer.

Unfortunately Taiyo-maru met with a low pressure during the operation and, on December 12, 2003, took out a SOS in thing and this of  Aogashima Island offing 1.8km.
When a patrol boat of the Maritime Safety Agency arrived at the spot, without what trace, I become missing with having picked up Captain Yasuto Isida, Youji Oosawa chief engineer, three people of a member of Takagi deck.

Now Taiyo-maru left no trace and has disappeared in a distance of the Pacific now.

「カジキマグロ漁」

 石田保人船長の大洋丸は、八丈島で唯一の延縄漁(はえなわりょう)を行うカジキ漁船である。全長36kmに及ぶ延縄に仕掛けた600本の針と餌、ここに、メカジキを誘う男のドラマが始まる。

 時期は12月から1月、出航は午後2〜3時ごろ、漁場に着くと、全長36kmの縄の針に餌の鯵を付け流していく、縄が切れても分かるように、所々に「ラジオブイ」という、電波を発信するブイを縄に取り付け流していく。全てをセットするまで数時間、食事を済ませ、仮眠する。
 夜中の12時ごろから縄を巻上げていく、仕掛けた針にカジキが掛かると、総出で何本ものモリを打ち、弱るのを待ってから引き上げる。かなりの力が要る作業である。

 引き上げたカジキは、すぐさま脳天を小槌で一撃、暴れないようにして、サーベルのような長い鼻先を金ノコで切り落とす。こうしないと、暴れたときに猟師が怪我をするからだ。
 大漁の時は次から次にカジキが釣り上がり、船倉に入りきらないカジキは、甲板に並べられる。そして、夜が明けるころ、カジキとの闘いは終了する。

   
八丈島をバックに出航、機関長の大澤洋司さんがセットしているのが、電波を発信する「ラジオブイ」。

 
延縄にセットしてある釣り針に、一つひとつ餌の鯵を付けていく、これが数時間掛かる。

  
左:元神天丸船長 石田武徳さん(保人の父親)中央:石田保人船長 右:大澤洋司機関長(コック長でもある)



大洋丸の厨房、部屋の高さは1mぐらい、コック長自慢の料理はゴッチャ煮ですか? 取りあえずウドンです。


夜中の12時を過ぎると、壮大なカジキ漁の始まりです。

  

  

  

大型の漁船と違って、19トンの大洋丸は、大きなカジキを船の上に上げるのは大変である。

  

引き揚げた、カジキの脳天に木槌で一撃、その後、素早く金ノコで角を切り落とす。血し吹きが辺りを染める、かなりの興奮! 思わず顔を背けたくなる

  



全ての縄を巻き戻し、甲板ではカジキの解体が始まる。痛みやすい内臓を取り出す為である。人間よりも大きいのでかなり、リアルで壮絶である。夜は明け始め、寄港の準備が始まる。一番ホッとする時間でもある。


「水揚げ」

母港の神湊港に帰ると、獲物の水揚げが始まる、クレーンを使っての水揚げは壮大である。機関長の隣に保人船長の母親「トシ子」さんが、出迎えた。



  

  

 

  

船倉には、内臓を取り出したカジキが氷を詰められ、寄港するまで保存される。中央:洋司機関長



「船祝い」

 正月の2日に船主が行う「船祝い」は、漁師を始め、警察、役人、近所の人が、各船主の家を回り、酒を飲んだりご馳走を食べ、大漁と安全を祈願し、一緒に祝う行事である。

 

 

宴会は人が入れ替わり、夜遅くまで続く。太鼓を持ち出し、響き渡る音で、さらに人は集まる。楽しい行事である。



「キハダマグロ漁」

 冬のカジキ漁に比べて、春のマグロ漁は昼間がメイン、辺りが明るい分だけ、私には不安が無かった。しかし、波が大きく、波の底になると回りは水の壁、浮き上がると見渡しは良いが、あるのは海だけ、陸は見えない。慣れない私に不安がよぎる。そんな思いにかられている中、緊張が走った。

 マグロがかかった、洋司機関長の顔に緊張が覗えた。マグロを引き寄せ、モリで打つ、カジキより小さいので3人掛かり引き揚げる。そんな一蹴を私は逃さない。
 
 大洋丸が波で上下左右に揺れ動く、船酔いに悩まされていた私だが、緊張感が船酔いを忘れさせる。体を船に縛りつけて落ちないようにして、身を乗り出してシャッターを押す。


 

  

 

 

「太平洋の彼方へ」

 2003年12月12日、大洋丸は操業中、低気圧に遭遇して、青ヶ島沖1.8kmのところで浸水、救助信号を出して、海上保安庁の巡視船を待っていたが、巡視船が現場に着いたときには、大洋丸の姿は無かった。
 石田保人船長、大澤洋司機関長、高木則夫甲板員の3人を乗せた大洋丸は、太平洋の彼方に消えたままである。
 
 私と同じ歳の保人船長、よく「どちらかがクタバルまで、撮り続ける」と言っていた私。消息が分からないまま早2年、「今度はトビウオ漁」を撮る予定だったが…。(2005年11月記)


「大洋丸を偲ぶ」 母港の八丈島神湊港を出航する大洋丸、何処で、漁をしているのか・・・。

 



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