東日本大震災 2年を経過して 岩手県 &青森県 2013.5
2years later, Iwate Prefecture & Aomori 2013.5
JR大船渡線:BRTバス=岩手県大船渡市=
三陸鉄道南リアス線の盛駅に行った。三陸鉄道はクエートからの支援により、車両3両を購入し、被害を免れた1両と共に4両で、南リアス線36.6Kmのうち、盛駅~吉浜駅の21.6Kmが、今年の4月3日から運転が再開された。JR大船渡線は津波の被害で線路も撤去され不通のまま、しかしJRは線路を撤去し軌道敷内にBRTバスを走らせ運行を始めていた。
三陸鉄道駅舎では、市民からの励ましや感謝の手紙が沢山貼られ、活気が伝わってきた。
防災センター 第六消防分団=岩手県釜石市鵜住居
岩手県釜石市役所の外壁に「ここまで津波が来ました」の看板、市役所本庁舎は小高い場所にあったので、中への浸水は防げた。庁舎内には「釜石復興」の大漁旗が天井から吊り下げられている。そして、屋上からは鯉のぼりが泳ぐ。
被害の酷かった鵜住居地区に行った。広陵な平原にポツンと白い建物があった。これが防災センター、釜石市消防署鵜住居出張所・釜石市消防団第六分団本部の拠点である。
近くの小高い場所に昇ってみると、そこにはJR山田線の鵜住居駅の跡、ホームの一部が残るだけで何も無い、線路も撤去されている。
この防災センターでは近くに住んでいたお年寄りたちが、何回となく消防団と避難訓練をしていたそうで、「何かあるたびに、この防災センターに集まってきた。」という。
大震災の時も地震の後に、ここに集まってきた。その後、真っ黒い墨汁のような水が、風呂桶溢れるように、川から静かに溢れ出たかと思ったら、一気に水嵩が増し押し流されてしまったそうである。消防団員を含め多くの方がこの場所で亡くなった。
※この建物も存続か撤去かの議論があり結論は出ていない。(現在は撤去され祈念公園になっている。)
JR山田線復旧せず!=岩手県宮古市=
宮古市から釜石市までの55.4Kmを結ぶJR山田線は、途中の線路や駅も残っておらず復旧の見込みはたっていない。
JR宮古駅近くの閉伊川に架かるJR山田線の鉄橋は津波で流されその橋脚だけが残っていた。そして駅から延びる線路は橋の手前で切断され残された線路は錆びついていた。元々、赤字路線大金をつぎ込んで山田線を復旧する予定は無いようだ。
軌道敷内で犬を散歩させていた年配の男性は「電車はもう通らない」と淋しく語っていた。(現在は第三セクター 北リアス線として復旧)
![](photo/miyako2013_171.jpg)
![](photo/miyako2013_31.jpg)
![](photo/miyako2013_201.jpg)
閉伊川の向こう岸からの山田線と橋脚
![](photo/miyako_yamadasen211.jpg)
![](photo/miyako_yamadasen361.jpg)
砂に埋もれたミス・ビードル号の離陸地点=青森県三沢市淋代海岸=
宮古市、久慈市を過ぎると「過去の津波浸水区域」の看板は見られるが、津波の被害は見当たらない。
1931年に無着陸で太平洋を横断した飛行機ミス・ビードル号の実物大模型のある青森県の淋代海岸に行ってみた。ここは私が15年前に映画のロケ地として訪れた場所で、思い出深い地である。
ミス・ビードル号は真新しく建造されていたが、その離陸地点を示す記念碑の木の柱は頭の部分60㎝が出ているだけで、下の方は砂に埋まっていた。
三沢市の話では、「津波によって前にあったミス・ビードル号は壊れてしまい、作り直したが、離陸地点を示す柱は大量の砂が押し寄せ、そのままになっている」とのこと。
<取材を終えて>
東日本大震災より2年2カ月後の東北被災地の復興の様子は、道路や港は復興しているが、被害を受けた市街地は、ガレキを撤去したに留まり、建物の土台だけの残る広陵とした台地が広がっていた。そして、その脇には依然としてガレキの山が存在する。
被災住民たちは被害のあった元の場所には戻ることができず、新たに造成するかさ上げした台地、もしくは集落全部を高台に移す計画などがあるが、困難を極めている様子。
役場ごと流された町などは、多数の役場職員も犠牲になり、職員の数も不足し、復興は遠い。
また、現地でも被災した地区、そうでない地区では人々の温度差がありすぎる。高台から、低い地区に降りていくと、そこは何もない平原が広がる。恐ろしいほど何とも言えないものが伝わってきた。
被災者は家族も家も財産も思い出の品も全てを失っている。
東京では忘れかけているが、現地ではそのまま、何も進んで無いことを知ってほしい!
<現地での住民達のひとり言>
①2年経っても、何も変わらない。津波で被害を受けた所は何も無くなってしまって、もう戻ってこれない。
②新しい墓と仮設住宅が増えて、ガレキの山が少し減ったかな~。
③商店街は戻ってこないけど、プレハブの商店は増えてきた。
④役場では予算をつけて「はい、お終い」その後は…。
⑤役場では相談窓口に他市からの応援職員を座らせ、マニアル本を見て答えるだけ、現状を知らない人を前に 出して地元の職員は後ろにいる。親身に相談に乗ってくれる人がない。
⑥4月は異動の時期、1年で交代するので前の人に聞かないと分らない。引き継ぎもできていないし、なんで 1年で交代なのか?復興のメドが付くまで変わって欲しくないね。
⑦東京近郊からの復興ツアーで来る人たち、来るのはありがたいが、被災した建物の前で「ピースサイン」で 写真を撮るのはやめてほしい。そこでは沢山の人が死んでいるんだよ!
※2013年5月取材時
※岩手県topに戻る。
※東日本大震災topに戻る。