SUNAK FILM TOP
SUNAK DOCUMENTARY PHOTO

Berlin Wall

Germany

⑧アレキサンダー広場の
 テレビ塔

  Alexander Platz.

※写真をクリックすると、詳細が分かります。また、番号は下の地図上で場所を示します。

2019.5.14~18

⑯ポツダマープラッツ近くの監視塔
 Wachturm am Potsdamer Platz

壁の記念センター&
ベルナウアー通り
 
Gedenkstätte Berliner
Mauer  gedenkstaette

⑮ポツダマープラッツ 
 Potsdamer Platz

⑫戦勝記念塔 
 The Victory Column in Berlin

①ベルリン中央駅近くの運河 沿いの壁
A wall along a canal near Berlin Central Station

ベルリンの壁 崩壊から30年

②インファーリンデン墓地   Invaliedenfriedhof

 壁崩壊後の1990年3月25日のブランデンブルグ門右手の 検問所、パスポートを提示するだけだが、西ベルリンから東ベルリンに入る時に外国人は、50東ドイツマルクを買わされた。まだ、統一してなかったので「お土産を買ってください」の意味です。
  崩壊から30年、今回あらためて、壁のあったところを周り、壁の犠牲者及び戦争・政治の犠牲になった人たちの慰霊碑・記念碑等を訪れた。Brandenburg 1990.3.25





 





<ドイツの分断とベルリンの壁>German Division and the Berlin Wall

194558日の第二次世界大戦のドイツの降伏により、ドイツはアメリカ合衆国・イギリス・フランス占領地域は資本主義を名目とした西ドイツと、ソ連占領地域は共産主義を名目とした東ドイツに分断された。

ベルリン市もまた、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連によって分割占領されたが、アメリカ・イギリス・フランスの占領地域である西ベルリンは、周囲を全て東ドイツに囲まれた「赤い海に浮かぶ自由の島」となり、東ドイツ国民の西ベルリンへの逃亡が相次いだ。

ベルリンの壁(ベルリンのかべ、独: Berliner Mauer)は、住民流出に危機感を抱いたソ連共産党とドイツ社会主義統一党(東ドイツ政府)が、住民の流出を防ぐために、冷戦の真っ只中にあった1961813日に建設された、西ベルリンを包囲する壁である。 そして、壁は両ドイツ国境の線上ではなく、全て東ドイツ領内に建設されていた。

ベルリンの壁崩壊(ドイツ語: Mauerfall)は、1989119日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して、旅行許可書発行の大幅な規制緩和を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表したことをきっかけに、ベルリンの壁の国境ゲートが開放され、翌1110日には東西ベルリン市民によって実際に壁の破壊が開始された。

1990103日に東西ドイツが再統一されるまで、この壁がドイツ分断や冷戦の象徴となっていた。そして、その後の東欧革命を象徴する事件となった。

Germany's surrender in World War II on May 8, 1945 divided Germany into West Germany, where the United States, Britain and France occupied territories were nominalcapital, and East Germany, where the Soviet occupied territories were based on communism. 

The city of Berlin was also divided and occupied by the United States, Britain, France, and the Soviet Union, but West Berlin, an occupied territory of the United States, Britain, and France, became a "free island floating in the red sea" surrounded by all east Germany. East German people fled to West Berlin one after another.

The Berlin Wall is a wall that surrounds West Berlin, built on August 13, 1961, in the midst of the Cold War, in the midst of the Cold War, by the Communist Party of the Soviet Union and the German Socialist Unity Party (East Germangovernment), which was concerned about the outflow of residents. And, the wall was built not on the line of both German borders but all in the East German territory.

The fall of the Berlin Wall led to the opening of the border gate of the Berlin Wall on November 9, 1989, when the East German government announced to East German citizens that the deregulation of the issuance of travel permits would be perceived as "de facto travel liberalization."
On November 10, the people of East and West Berlin actually began to destroy the wall.

Until east and west Germany was reunified on October 3, 1990, this wall was a symbol of the German division and the Cold War. And, it became an event which symbolized the Eastern Europe revolution afterwards.


  


※関連新聞記事(東京新聞)


















「ベルリンの壁 崩壊から30年」 写真展にあたって

 東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」崩壊のきっかけは、30年前の自由と民主化を求めて立ち上がった、東欧諸国の革命だった。
 1989年3月3日、ハンガリー首相のネーメント・ミクローシュは、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長に「隣国オーストリアとの国境の鉄条網を撤去する」と伝えると、ゴルバチョフは、「自国の国境はそれぞれの国が守るべきだ。」と答えた。ハンガリーは国境の鉄条網を徐々に撤去したがソ連軍の軍事介入は無く、同年9月、国境は全面開放された。
 当時、西側への渡航を禁じられていた東独の市民は、共産圏なら一定の条件で渡航が可能であった為、観光旅行としてハンガリーに入り、オーストリア経由で西ドイツに逃れた。
 そして2ヶ月後、ベリリンの壁は崩壊した。しかし、「風穴の国・ハンガリー」は、2015年の中東からの難民流入を防ぐ為、EU加盟国で真っ先に、国境にフェンスを築き「風穴の国」は再び鉄のカーテンを引いてしまった。
 
「消えぬ分断」2019年11月9日、東独出身のメルケル首相は「壊せない壁は無い。人々を隔てる壁を二度とつくってはならない」と訴えた。(ベルリンの壁犠牲者は銃撃や地雷で少なくとも138人死亡した。)

私は、壁崩壊の翌年、1990年3月にベルリンを訪れ歴史の動く様子を目の当たりにした。まだ統一前のブランデンブルグ門近く、所々に穴の開いた壁は長々と存在していたが、穴の開いた所から中に入ることが出来た。すぐに東独の警備兵が車で来て、「NO!」。少し前だったら銃撃されていただろう。壁は二重になっていた。その距離は50m~100m位、広大な空き地が広がっていた。

 検問所から入った東独の街は、無彩色で西ベルリンのような派手なコマーシャルの看板とかネオンも無い、活気がなく静かである。道路を走るのは路面電車と2サイクルのトラバントのみ、天気も日差しがなくどんよりとしていたので、寂しさが感じられた。

 私は、壁崩壊後3回ベルリンを訪れた。崩壊30年の今回は、ベルリンの壁と分断の歴史を再検証するため、最初に解放されたボルンホルマー通り、運河沿い、ベルナウアー通り等の一部壁が残る場所を歩き、壁やナチスの犠牲者慰霊碑で黙祷を捧げ平和を祈った。

また、東独国家秘密警察シュタージの本部、ヒトラー総統地下壕跡、ナチス政権時代に造られたテンペルホーフ空港、そして、ヒトラー暗殺計画・ナチス政権に抵抗した人たちを称えた「ドイツ抵抗記念館」(ドイツ連邦軍本部ビルの中にある)も訪れた。

 歴史が証明しているにも関わらず、私達の周りで起こる差別と分断、自国ファースト、自分ファースト、他を認めない恐怖心を煽る政治は、不安と危険な心理を誘発する。

1930年代に戻りそうな気配がするのは私だけであろうか…。                      20203月 砂川修司









SUNAK FILM TOP
SUNAK DOCUMENTARY PHOTO


㉒テンペルホーフ空港
 (ナチス政権時代に造られた空港)
 Flughafen Berlin-Tempelhof

㉑シュタージ博物館
(東ドイツ秘密警察本部ビル)

 Stasi Museum

⑲チャーリーチェック
 ポイント&壁博物館

  Museum Hausam am
   Checkpoint Charlie

⑳イーストサイド ギャラリー
  East-Side-Gallery-Berlin

シンティ&ロマの記念碑  ブランデンブルグ門
  Sinti und Roma Denkmal

⑦ボルンホルマー通りの壁& 検問所所長の英断
  Bornholmer Strasse

⑥壁の野外博物館
 ベルナウアー通り

  Mauermuseum
  Bernauerstraß

⑤和解の教会
 ベルナウアー通り
 
Kapelle der Versöhnung
Bernauer Straße

30years from the fall of Berlin Wall.

⑱テロのトポグラフィー  
 Topographie des terrors
 museum berlin

⑰ドイツ抵抗記念館
 Memorial of
 German Resistance

ホロコースト記念碑
 Holocaust Memorial

⑭ヒトラー総統地下壕跡 
 Hitler Underground Armor

ソ連戦勝記念碑 
  Soviet War Memorial
  in Tiergarten

⑨白い十字架
    壁犠牲者の碑

  Weisse-kreuze

ギュンター・リトフィンの記念碑・監視塔 
Günter litfin memorial